和田城跡
わだじょうあと(Wada Castle Ruins)
【C-AC559】探訪日:2023/2.12
愛知県豊橋市石巻本町嵯峨31ー1
【MAP】
〔駐車場所〕春興院の広い駐車場を利用できる。
別名、嵯峨城ともいう。築城年は定かではないが、南北朝時代に和田民部によって築かれたとされ、その後、永禄年間(1558~69年)に渡辺久左衛門、1570(元亀元)年には息子の渡辺図書助浄,渡辺山城守茂も居城したとされる。当初は不明であるが、最終的には松平氏(徳川氏)に付き、図書助の子孫は旗本になったという。
城は馬越川に面した標高26m,比高15mの段丘端に築かれ、春興院の東側一帯に遺構が残る。ただ、東側は道路によって削り取られている可能性がある。主郭は現在は竹林と化している。南西に虎口を開き、虎口の前方に馬出し用の郭Ⅱが付属していたと考えられている。主郭西側には土塁とその外側に空堀(横堀)が残されており、北の端はそのまま北に落ち込んでいる。
なお、春興院は戦国時代に和田城主・渡辺氏が菩提寺として創建した寺である。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
---|---|
関連年号 |
1558~69年・1570年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
---|---|---|---|---|---|
和田民部 | **** | 渡辺久左衛門 | G0** | 渡辺 浄 | G0** |
渡辺 茂 | G0** |
和田城縄張図(『愛知県中世城館跡調査報告』に加筆)