鴨江城跡

かもえじょうあと (Kamoe Castle Ruins)

【C-SZ089】探訪日:2023/2.12

【C-SZ089】鴨江城跡 静岡県浜松市中区鴨江4丁目17

【MAP】

〔駐車場所〕 鴨江寺の参詣者用駐車場がある。

【C-SZ089】鴨江城跡

   築城年は定かではないが、すでに創建されていた鴨江寺を城塞化したものと考えられる。歴史資料上、鴨江城の名が出てくるのは南北朝時代で、後醍醐天皇の皇子・宗良親王を迎え南朝方についた井伊道政,高顕父子は三岳城を本拠とし、南方面の支城として鴨江城を置いた。このほか、北を天山城(別名:田沢城)、西を千頭峯城、東を大平城の支城で固めた。
 1339(暦応2/延元4)年、足利尊氏の命を受けた高師泰,高師冬,高師兼,仁木義長らの北朝軍は、まず7月26日にここ鴨江城を落とした。平城で防御性の低い鴨江城は5日で落城したという。その後、北軍は10月30日に千頭峯城、翌年の正月30日には三岳城、さらに8月24日に大平城を落とし、宗良親王は城から城へと退却したが、ついには遠江国での拠点を失い、信濃国へ落ちていった。その後、鴨江城は史料に登場せず、鴨江寺として再建されていった。
 城域は明確ではないが、鴨江寺から浜松市立西小学校にかけた辺りとされるが、遺構は残されていない。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 南北朝時代
関連年号 1339年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
井伊道政 F*** 井伊高顕 F*** 宗良親王 K501
高 師泰 TS04 高 師冬 TS04 高 師兼 TS04
仁木義長 G372

 

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