熱田砦跡
あつたとりであと (Atsuta Fort Ruins)
【C-AC556】探訪日:2023/2.6
愛知県名古屋市熱田区沢上2丁目4ー25
【MAP】
〔駐車場所〕
1181(養和元)年、源頼朝の叔父である源行家(新宮十郎)が築いたとされ、名古屋市内でもっとも古い砦(城)といえる。行家は源氏復興の行脚を行い、頼朝蜂起後のこの年、行家と頼朝の義弟・義円率いる軍勢は美濃墨俣で平維盛,重衡の軍と戦うも、義円が討死するなど大敗北を喫した(墨俣古戦場)。行家勢は熱田へと退き、急遽、熱田砦(城)を築いて平氏軍の進出を防ぐことにするが、平氏の勢いを止めきれず、矢作川の戦いでも敗れ去り、東国へと逃げ帰った。
ここ熱田には熱田大宮司を務めつつ広大な熱田社領を守るため武装した藤原季範がおり、その娘・由良御前は源義朝に嫁ぎ、頼朝を産んでいる(誓願寺:源頼朝生誕の地)。一族郎党は1156(保元1)年の保元の乱,1159(平治1)年の平治の乱にも参加している。
砦跡については諸説あって特定できていないが、大津通の沢上交差点と南の外土居交差点の間が候補の一つと考えられている。