飯豊天皇埴口丘陵陵
いいとよてんのう はにぐちのおかのみささぎ (Haniguchinooka Mausoleum of Empress Iitoyo)
【K-NR091】探訪日:2018/10.30
奈良県葛城市北花内
【MAP】
〔駐車場所〕
実際の被葬者は明らかではないが、宮内庁により第22代・清寧天皇の崩御後に一時政務を執ったとされ、飯豊天皇とも呼ばれる飯豊青皇女の陵に治定されている。遺跡名は北花内大塚古墳で、墳丘長90m,後円部直径50m,前方部幅70mの前方部を南西方に向ける前方後円墳である。墳丘周囲には幅10~15mの周濠が巡らされる。墳丘表面では朝顔形埴輪含む円筒埴輪,形象埴輪のほか、コウヤマキ製の笠形木製品が検出されている。埋葬施設および副葬品は明らかでない。
飯豊青皇女は第17代・履中天皇の皇女、または市辺押磐皇子の王女とされ、女帝の先駆的存在である。清寧天皇崩御後に億計王(のちの仁賢天皇)と弘計王(のちの顕宗天皇)が皇位を譲り合ったため、飯豊青皇女が忍海角刺宮で執政したという。ただ、『日本書紀』と『古事記』では億計王,弘計王兄弟の発見時期が異なることや、そもそもの実在性の疑問も残る。皇女(あるいは皇孫女)の執政期間も『日本書紀』では10ヶ月間とされるが、はっきりしたことは分からず、事績については不明である。清寧天皇5年11月に崩御し、『水鏡』によれば御年45歳という。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 伝承の時代(古墳時代:中期) |
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関連年号 | 清寧天皇5年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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飯豊青皇女 | K202 | 億計王 | K202 | 弘計王 | K202 |