外鎌城跡
とかまじょうあと (Tokama Castle Ruins)
【C-NR039】探訪日:2022/11.19
奈良県桜井市慈恩寺
【MAP】
〔駐車場所〕北西の登り口に駐車スペースがある。
外鎌山城,戸賀間城とも。築城年は定かではないが、南北朝時代に大和国の南朝方の武将である開住西阿が築城した六城の内のひとつで、最も東に位置する外鎌山(標高292.4m)の頂上に築かれた山城である。六城とは、ほかに戒重城,河合城,安房城,外山城,赤尾城がある。
1341(興国2/暦応4)年7月2日、北朝方幕府軍に戒重城を落とされた西阿たちは外鎌城へと逃れたが、翌3日には外鎌城ほかも陥落した。記録には、西阿の嫡子・木工助が討ち取られたことは記されているが、西阿自身については不明である。1353(文和2)年まで生存していたとも伝えられる。なお、西阿のもう一人の子息・良円は1348(正平3/貞和4)年の四条畷の戦いで楠木正行らとともに戦死している。
山頂の主郭は長さ32m、その南北に帯郭、東と西南に張出しの小郭と四方を郭で囲み、虎口は西北に開いている。比較的単純な縄張りで小規模な竪堀があるほかは堀切,空堀などは見られず防御性は低い。山頂には1970(昭和45)年に法華日蓮宗の門徒によって建てられた西阿墓碑が横たわっている。また、朝倉台方面に通じる登山道の途中には南北朝時代の石垣跡が残されている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 南北朝時代 |
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関連年号 | 1341年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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開住西阿 | KS** |
外鎌城縄張図(『日本城郭大系』に加筆)