高束城跡
たかつかじょうあと (Takatsuka Castle Ruins)
【C-NR038】探訪日:2022/11.19
奈良県桜井市萱森620
【MAP】
〔駐車場所〕
898(昌泰元)年、長谷寺に関係した藤原家賢が構築したのが始まりとされるが、当時は堀切などの防御技法は考えにくいため、現在の様式になったのは山城が出現し始めた南北朝時代以降と思われる。1564(永禄7)年6月、藤原順賢の代に多聞山城の松永久秀の攻撃を受け炎上落城し、順賢は討死したと伝えられる。
城は標高528m,比高280mの山頂にあり、北に虎口をもち、郭の南西に堀切が設けられている。礎石と思われる石と乗馬石と呼ばれる巨石がある。現在は東海自然歩道が通っている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 平安時代:前期 | 戦国時代 |
---|---|---|
関連年号 | 898年 | 1564年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
---|---|---|---|---|---|
藤原家賢 | F*** | 藤原順賢 | F*** | 松永久秀 | **** |
高束城跡の北西にある高龗神社(口倉神社)に向って車で登り、東海自然歩道の案内板がある場所(公衆トイレがある)に駐車して自然歩道を進んだ。あとは案内に従って進むが、一部「高束城へ」の矢印が破損欠落しているので注意。郭全体は雑木林になっているが、乗馬石と堀切はしっかり確認できる。山頂の郭からの眺望はないが、途中に桜井市,明日香村方面を望める場所がある(ここも城の一部?)。なお、個人的にはしばらく古墳や町中の平城跡(ほぼ住宅地)めぐりが続いたので、久々の山城探訪を満喫した。
高束城縄張図(『日本城郭大系』に加筆)