日置城跡
ひおきじょうあと(Hioki Castle Ruins)
【C-AC530】探訪日:2022/10.19
愛知県名古屋市中区松原1丁目3ー14
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、室町時代末~戦国時代初に織田寛定あるいは織田忠寛によって築かれたとされる。元々は平安時代に開かれた日置荘の拠点であったといわれる。織田寛定は織田大和守家に生まれ、応仁の乱以降は尾張の南東部を支配していた。忠寛は楽田織田家の織田寛貞の子として生まれ、織田信長と信雄に仕えている。
城跡は雲龍神社跡辺りとされ、現在は神社は廃され、「松原緑地」として弘法大師御手植えと伝わる樹齢1000年以上の大楠が聳える(樹高20m,幹周り7m)。一説に、織田信長が1560(永禄3)年の桶狭間の戦いの際、清洲城を出発し進軍の途中でこの大樹に戦勝祈願をしたとも伝わるが、それは南東500mにある日置神社である可能性もある(日置神社西側一帯が城跡ともいわれる)。
なお、江戸時代には尾張藩士の屋敷が築かれ、宝暦年間(1751~63年)に阿部肥前守、文政年間(1818~30年)に山澄淡路守、弘化年間(1845~48年)に山澄右近豊欽、明治時代には山澄龍吉らが居住し、その後は雲龍神社が建てられた。