太安万侶墓所
おおのやすまろ ぼしょ(Grave of Yasumaro O)
【K-NR046】探訪日:2014/9.8
奈良県奈良市此瀬町451
【MAP】
〔駐車場所〕
723(養老7)年7月6日に卒去した太安万侶(安麻呂)の墓所である。
1979(昭和54)年1月23日、竹西氏により茶の改植中に発見され、決め手は、火葬された骨や真珠が納められた木櫃とともに出土した墓誌であった。左京の四条四坊に居住したこと、位階と勲等は従四位下勲五等、養老7年7月6日に歿したことなど記載されており、太安万侶の情報と一致した。
墳丘は直径4.5mの円墳と推定され、埋葬施設は中心部に墓壙を掘り、底に木炭を敷いて墓誌を置き、その上に火葬骨と真珠を納めた木櫃を安置し周囲と上面を木炭で覆った木炭槨であった。
安万侶は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族で姓は朝臣、711(和銅4)年9月に元明天皇から稗田阿礼の誦習する『帝紀』『旧辞』を筆録して史書を編纂するよう命じられ、翌712(和銅5)年1月に『古事記』として天皇に献上した。また、720(養老4)年に完成した『日本書紀』の編纂にも加わったとされる。最終官位は民部卿従四位下。
【史跡規模】 |
【指 定】国指定史跡(1980年2月19日指定) 【国 宝】 【国重文】太安萬侶墓誌(1981年6月9日指定) |
関連時代 | 奈良時代 |
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関連年号 | 723年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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太 安万侶 | TA01 |