東大寺山古墳
とうだいじやまこふん(Todaijiyama-Kofun Tumulus)
【K-NR174】探訪日:2022/10.2
奈良県天理市櫟本町2525ー1ー1
【MAP】
〔駐車場所〕天理教城法大教会の門内の駐車場か、門外の南北方向の路上に駐車。
和邇氏族の拠点であった天理市和邇から櫟本にかけて点在する古墳のひとつで、全長約140mの前方後円墳である。後円部径約84m,前方部幅約50mを測り、埴輪列と葺石が確認されている。
後円部の埋葬施設の主体部は、墳丘主軸に平行する木棺を覆った粘土槨があり、長さ推定9.4mの及ぶ大規模なものであった。主要部分は盗掘を受けているが、粘土槨から玉類,腕輪形石製品,滑石製の壺,鍬形石,車輪石、そして中国後漢時代の年号「中平」が金象嵌された鉄刀を含む武器,武具類など数多くの副葬品が出土している。「中平」とは後漢の霊帝の年号で184~189年を指し、倭国では大乱が終結した時期である。中平銘紀年刀は倭国乱終結後、後漢王朝から下賜されたものであると考えられている。刀身の棟の部分に24文字を金象嵌で表した長さ110cmの鉄刀で、銘文には、
「中平□□(年)五月丙午造作文(支)刀百練清剛上応星宿□□□□(下避不祥)」
と記され、「中平□年五月丙午の日、銘文を入れた刀を造った。よく鍛えられた刀であるから、天上では神の御意に叶い、下界では禍を避けることができる」という意味である。出土品は一括して「奈良県東大寺山古墳出土品」として国宝に指定されている。
古墳自体は4世紀中頃~後半、もしくは5世紀初頭(古墳時代前期後半から中期初頭)の築造と推定されており、被葬者は和邇氏の有力者の可能性が高い。
なお、この丘陵には弥生時代後期の二重の空堀を巡らせた東西約400m,南北300mの竪穴住居集落遺跡があり、本古墳は、この高地性集落と重複するようにして存在し、その集落の役割が終わって150~200年ほど後に築造されている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】奈良県東大寺山古墳出土品(2017年9月15日指定) ・金錯銘花形飾鐶頭大刀 1口(中平□□五月丙午の銘) ・花形花形飾鐶頭大刀 2口 ・家形飾鐶頭大刀 2口 ・金属製品 249点 ・石製品 102点 ・玉 59点 ・有機質製品残欠 2点 (附指定)銅鏃残欠 9点 (附指定)石製品残欠 一括 (附指定)埴輪残欠 4点 【国重文】 |
関連時代 | 古墳時代:前期 |
---|---|
関連年号 | 4世紀中頃~後半 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
---|---|---|---|---|---|
和邇氏 | WN01 |
奈良県東大寺山古墳出土品(東京国立博物館展示)