古市城跡

ふるいちじょうあと (Furuichi Castle Ruins)

【C-NR016】探訪日:2018/10/21

【C-NR016】古市城跡 奈良県奈良市古市町264-18

【MAP】

〔駐車場所〕

   築城時期は不明であるが、室町時代に古市氏によって築城されたものと考えられる。当初は約150×200mの広い台地にあって堀を巡らせ、台地と西側の環濠集落が結合して惣構えを形成していた。また、南北西三方に各門があり、その大手を延命寺口といった。主要建物の屋根は板葺、壁は白壁であったとされる。現在は、本丸跡とされる地点に奈良市立東市小学校が建ち、堀の一部が南側の溜め池として残っている。
 当城を拠点とした古市氏は1320年代より史料に登場し、室町時代には興福寺大乗院の坊人として有力な存在となった。
古市胤仙は1444(文安元)年の興福寺を二分する争乱では、経覚に従って当城から筒井氏と対峙し、筒井氏に代わり衆徒の棟梁となるとともに庶家の反抗を抑えた。1447(文安4)年には奈良を追われた経覚を半ば強引に古市に移し、続く古市胤栄は応仁の乱に関わるとともに一族,家臣の統制を強化して権威の回復に務めた。古市澄胤の代に全盛を迎えると城内に堀や馬屋,風呂などを設け、連歌や茶の湯が催された。
 1497(明応6)年には筒井勢に敗れて、澄胤は山中に逃げ延び、城は破却された。1499(明応8)年に細川政元の支援で澄胤が復帰して翌年に城を再建したが、1504(永正元)年に再び落城した。翌年さらに再々建され、1508(永正5)年に澄胤が敗死すると後継の公胤は城域の中心を南に移している。そして、1543(天文12)年、筒井順興に敗れた際、城は古市氏によって焼かれることとなる。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代
関連年号 1444年・1447年 1497年・1499年・1504年・1508年・1543年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
古市胤仙 KH02 経覚 **** 古市胤栄 KH02
古市澄胤 KH02 細川政元 G38* 古市公胤 KH02
筒井順興 ****

 

【C-NR016】古市城跡
 城址碑は東市小学校校庭の片隅にあり、周辺は急傾斜で金網も巡らされていたため碑の正面に回り込むことができず、碑の裏面しか撮影できなかった。本来ならばお願いして校庭内に入らせていただくのだが、訪れたのが生憎日曜日の朝7時頃だったため、だれも見当たらなかった

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▲【転載】城址碑

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▲城址碑裏面

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▲本丸跡(奈良市立東市小学校)

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