内山永久寺跡
うちやまえいきゅうじあと (Uchiyamaeikyu-ji Temple Ruins)
【T-NR038】探訪日:2014/11/28
奈良県天理市杣之内町
【MAP】
〔駐車場所〕
永久年間(1113~18年)に鳥羽天皇の勅願により興福寺大乗院第2世院主の頼実が創建し、第3世尋範(太政大臣藤原師実の子)に引き継がれて堂宇の整備が進められた。三方を山に囲まれていることから内山といい、院号は金剛乗院、本尊は阿弥陀如来。興福寺との関係が深く、当初より興福寺大乗院の末寺としての性格を備え、また本地垂迹説の流行とともに石上神宮の神宮寺としての性格を備えるようにもなり、大乗院の権威を背景として室町期には絶大なる勢力を誇った。
『永久寺置文』によれば、1136(保延2)年に真言堂、翌年に八角多宝塔が建立され、その他、吉祥堂,観音堂,常存院,御影堂,経蔵,鐘楼,温室(浴室),四所明神社,玉賀喜社など多数の堂宇が存在した。また、1336(延元元/建武3)年には後醍醐天皇が一時ここに身を隠したと伝えられ、「萱御所跡」という旧跡が残されている。
1585(天正13)年の時点でも56の坊,院が存在し、池を中心とした浄土式回遊庭園の周囲に、本堂,観音堂,八角多宝塔,大日堂,方丈,鎮守社などのほか、多くの院家,子院が建ち並んでいた。大和国では東大寺,興福寺,法隆寺に次ぐ待遇を受ける大寺であり、その規模の大きさと伽藍の壮麗さから、江戸時代には「西の日光」とも呼ばれた。
しかし、明治時代初期の廃仏毀釈で寺領を没収され、壮麗を極めた堂宇や什宝はことごとく徹底した破壊と略取の対象となった。この際に流出した仏像,仏画,経典等のうち残存する宝物の大半は重要文化財,国宝指定を受けている。
現在では当寺敷地の大半は農地となり、本堂池と萱御所跡の碑が山の辺の道沿いに残るのみである。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 平安時代:後期 | 南北朝時代 |
関連年号 | 1113~18年・1136年・1139年 | 1336年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
鳥羽天皇 | K328 | 頼実 | **** | 尋範 | F701 |
後醍醐天皇 | K501 |
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲「永久寺跡」説明板
▲「永久寺跡」説明板
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▲萱御所跡
▲本堂池
▲本堂池