慈照寺(銀閣寺)
じしょうじ(ぎんかくじ)(Jisho-ji [Ginkaku-ji] Temple)
【T-KT049】探訪日:2015/10.4
京都府京都市左京区銀閣寺町2 <📲:075-771-5725>
【MAP】
〔駐車場所〕
室町幕府8代将軍・足利義政は1482(文明14)年から東山の月待山麓に東山山荘(東山殿)の造営を始めた(この頃は将軍職を退いている)。応仁の乱が終了した直後であり、京都の経済は疲弊していたが、庶民に段銭(臨時の税)や夫役を課して東山殿の造営を進めた。義政は工事開始の翌年にはここに移り住んでいた。工事には8年を要し1490(延徳2)年1月に義政が死去した翌2月に完成をみる。義政の菩提を弔うため東山殿は禅寺に改められ、相国寺の末寺として創始された。寺号は当初、義政の院号である慈照院殿にちなみ「慈照院」とされたが、翌年「慈照寺」に改められている。観音殿(銀閣)から別名、銀閣寺として知られる。なお、開山は夢窓疎石とされているが、創建より1世紀ほど前の人物であり、勧請開山である。 天文年間(1532~54年)末期には前関白・近衛前久の別荘となったが、前久の薨去後は再び相国寺の末寺として再興された。
東山殿には会所,常御所,釣秋亭,竜背橋,泉殿,西指庵,漱せん亭,超然亭などの大規模な建物が建ち並んだが、現存する当時の建物は銀閣と東求堂のみである。
観音殿は木造2階建ての楼閣建築で、慈照寺境内の錦鏡池の畔に東面して建つ。1489(長享3)年の上棟である。屋根は宝形造の杮葺で、屋頂に銅製鳳凰を置く。ただし、古記録や名所図会によれば、18世紀後半頃までは鳳凰ではなく宝珠が置かれていた。鹿苑寺舎利殿(金閣)は金箔が施されているが、銀閣寺は銀箔は貼られておらず、その痕跡もないという。東求堂は一重入母屋造の檜皮葺で、1486(文明18)年の建立である。義政の持仏堂として建立されたものであるが、様式的には住宅建築の要素が強い。
【史跡規模】 |
【指 定】・国特別史跡(1952年3月29日指定:庭園) ・世界遺産(1994年12月17日指定:「古都京都の文化財」として) 【国 宝】・慈照寺銀閣 ・慈照寺東求堂(附:棟札) 【国重文】・絹本著色春屋妙葩像 |
関連時代 | 鎌倉時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1486年・1489年・1490年 | 1550~54年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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足利義政 | G333 | 夢窓疎石 | **** | 近衛前久 | F705 |
慈照寺境内見取り図(銀閣寺パンフレットより)