懿徳天皇畝傍山南繊沙渓上陵
いとくてんのう うねびやまのみなみのまなごのたにのえのみささぎ
(Unebiyama Minaminomanagonotaninoe Mausoleum of Emperor Itoku)
【K-NR040】探訪日:2009/10.31
奈良県橿原市西池尻町401
【MAP】
〔駐車場所〕
宮内庁により俗称「マナゴ山」が第4代・懿徳天皇の陵に治定されている。宮内庁上の形式は山形。『延喜式』諸陵寮では「畝傍山南繊沙渓上陵」として著されているが後世に所伝は失われ、幕末修陵に際して現陵に治定された。なお、橿原市畝傍町のイトクノモリ古墳はその名から懿徳天皇陵とされることもあったが、一説に皇后陵だともいわれる。
懿徳天皇が安寧天皇の第二皇子で、父帝が崩御した翌々年の1月に即位した。即位2年1月、軽之境岡宮に都を移す。即位34年で崩御。欠史八代の一人で、実在性については諸説ある。