鳥谷口古墳
とりたにぐちこふん(Toritaniguchi-Kofun Tumulus)
【K-NR023】探訪日:1995/6.17
奈良県葛城市染野
【MAP】
〔駐車場所〕
二上山から東に延びる尾根の先端部付近の南斜面に築造された小方墳である。1983(昭和58)年の溜池(大池)改修工事の採土の際に発見された。古墳時代終末期の7世紀後半頃の築造と推定され、被葬者は明らかでないが、大津皇子の墓に比定する説が知られる。
墳形は一辺約7.6mの方形で、墳丘表面では2段の貼石が認められるほか、墳丘の南面以外の三方には掘割が巡らされる。主体部の埋葬施設は横口式石槨で、石槨の主軸を東西方向として南方向に開口する。底石の上に板石を組み立てて、その上に天井石を架けたものになり、石槨の内法は長さ158cm,幅60cm,高さ70cm、開口部は幅40cm,高さ50cmを測る。石材は二上山産の凝灰岩製で、底石および北側石には家形石棺蓋石の未成品が使用される。また石槨の入口側には、羨道状施設の存在が推定される。盗掘に遭っているため石槨内の副葬品は認められないが、石槨前面付近に須恵器,土師器が検出されている。
大津皇子は686(朱鳥元)年9月の天武天皇の崩御後、10月に謀反を企てたとして自刃し、その屍は二上山に改葬されたことが知られる。初葬地に関して所伝がなく、宮内庁では二上山雄岳山頂に治定しているが(大津皇子二上山墓)、この時期に古墳が高山の山頂に築造されることはなく、また付近に他に終末期古墳が見られない点などから、二上山山麓に位置する本古墳を真墓に比定する説が挙げられている。
【史跡規模】 |
【指 定】奈良県指定史跡(1987年3月10日指定) 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 飛鳥時代 | 昭和時代:後期 |
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関連年号 | 7世紀後半(686年) | 1983年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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大津皇子 | K307 |