文武天皇桧隈安古岡上陵(栗原塚穴古墳)
もんむてんのう ひのくまのあこのおかのえのみささぎ(くりはらつかあなこふん)
(Hinokuma Akonookanoe Mausoleum of Emperor Monmu [Kuriharatsukaana-Kofun Tumulus])
【K-NR029】探訪日:1994/7.3・2017/8.27・2022/7.24
奈良県高市郡明日香村平田410−1
【MAP】
〔駐車場所〕
実際の被葬者は定かではないが、宮内庁により栗原塚穴古墳が707(慶雲4)年6月15日に崩御した第42代・文武天皇の陵に治定されている。ただし、現在では、八角墳で横口式石槨を持つ中尾山古墳を真の文武天皇陵とする説が有力である。
697(持統天皇11)年8月1日、持統天皇の譲位を受け、当時としては異例の14歳の若さで即位。祖母・持統上皇(史上初の太上天皇)のもとで政務を行った。701(大宝元)年には大宝律令が完成し、翌年公布している。 大宝律令において初めて「日本」の国号が定められたとされる。
707(慶雲4)年6月に崩御すると、11月に持統上皇同様に飛鳥岡で火葬のうえ葬られたとされる。あとに残された首皇子(のちの聖武天皇)は数え7つと幼かったことから、天皇の生母・阿陪皇女が皇位を預かる形で即位した(元明天皇)。