吉備内親王墓
きびないしんのう ぼ (Grave of Imperial Princess Kibi)
【K-NR026】探訪日:1994/8.10・2018/10.30
奈良県生駒郡平群町梨本字前773
【MAP】
〔駐車場所〕
729(神亀6)年2月12日、藤原四兄弟の陰謀によって自殺に追い込まれた長屋王とともに自殺した吉備内親王の墓とされる。南東約120mのところには、夫の長屋王の墓がある。
次期皇位継承者にふさわしいとされていた長屋王は、聖武系の皇位継承を目論む藤原四兄弟にとって恐怖と猜疑の対象となっていた。聖武天皇にも皇位継承者がなくなる中、長屋王の変が発生する。
729(神亀6)年2月、長屋王の使用人だった漆部君足と中臣宮処東人が「長屋王は密かに左道を学びて国家を傾けんと欲す」と密告し、それをうけて藤原宇合らの率いる六衛府の軍勢が長屋王邸宅を包囲した。舎人親王などによる糾問の結果、長屋王および吉備内親王と所生の諸王ら(膳夫王,桑田王,葛木王,鉤取王)は首をくくって自殺。なお、平安時代初期には、長屋王の冤罪が公然の事実とされている。
737(天平9)年、藤原四兄弟は天然痘により4人とも揃って病死してしまったことから、長屋王の祟りではないかと噂されたという。