新沢千塚古墳群
にいざわせんづかこふんぐん(Niizawasenzuka-Kofun Tumulus Clusters)
【K-NR104】探訪日:2022/7.2
奈良県橿原市北越智町/川西町
【MAP】
〔駐車場所〕
畝傍山の南方に広がる東西2km,南北約2km余りの越智岡丘陵(標高約150m)に位置する、径約10~15mの円墳など総数600基以上の群集墳である。これらの墳墓は4世紀末から7世紀にかけて造営され、特に5世紀半ばから6世紀末まで盛んに作られた。この古墳群の氏族ないし埋葬者は特定されていない。
1962(昭和37)年には本格的調査が実施され、粘土槨を内部主体とする500号墳(前方後円墳)を含む23基の古墳が発掘された。500号墳では古墳時代前期に類する副葬品が検出され、その中には懸垂鏡といわれる珍しい銅鏡が含まれていた。
1960年代に同志社大学などにより調査が行われ、約130基が調査された。武具,馬具をはじめとして副葬品は豊富に出土したが、5世紀後半の126号墳からは金,銀,ガラス,ヒスイを用いた大量の装飾品が遺骨に装着したままの状態で出土し、また火熨斗(炭を入れてアイロンとして使用した金属器)が日本で初めて出土したり、中国を経由せず西域から新羅経由でもたらされたと見られるローマンガラス製品(のちに化学組成からローマ帝国伝来と裏付けられている)が出土した。
【史跡規模】 |
【指 定】国指定史跡(1976年3月31日指定) |
関連時代 | 古墳時代:中後期 |
---|---|
関連年号 | 4世紀末~7世紀 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
---|---|---|---|---|---|
葛 |
新沢千塚古墳群の分布
▲
▲県道133号線の南側(南群)の古墳群
▲
▲
▲
▲
▲
▲
▲
▲
▲
▲224号墳
▲
▲
▲県道133号線にかかる歩道橋から見た南群の西側
▲県道133号線北側(北群)へはいる
▲
▲
▲173号線
▲
▲
▲
▲
▲126号墳へ向かう
▲
▲
▲126号墳
▲
▲
▲
▲109号墳
▲
▲
▲
▲115号墳
▲
▲139号墳へ
▲
▲139号墳
▲
▲
▲
▲81号墳へ向かう
▲
▲
▲
▲81号墳
▲
▲
▲
▲【Wikipediaより転載】48号墳