島左近墓所
しまさこん ぼしょ(Grave of Sakon Shima)
【K-NR078】探訪日:2018/10.21
奈良県奈良市川上町49
【MAP】
〔駐車場所〕
1600(慶長5)年、関ヶ原の戦いで石田三成方の西軍として戦い討死した島左近(嶋清興)の墓所である。ここ三笠霊苑東大寺墓地のほかに、立本寺教法院(京都市上京区),木川墓地(大阪市淀川区),浄土寺島村家墓地(岩手県陸前高田市),長崎県対馬市美津島町島山にも墓地がある。
島氏(嶋氏)は奈良県生駒郡平群町周辺の在地領主で、椿井城,西宮城を本拠にしていたという。筒井氏,蒲生氏の後、豊臣秀長に仕えた。その後、石田三成に破格の高禄をもって迎えられる。「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり島の左近と佐和山の城」と謳われるほどの逸材だった。
関ヶ原の戦いの前日には、徳川家康の美濃国赤坂到着の報に動揺する西軍の兵たちを鼓舞するために、兵500を率いて東軍の中村一栄,有馬豊氏両隊に戦いを挑み(杭瀬川の戦い)、明石全登隊と共に勝利した。本戦においては、その最期について黒田長政軍の銃撃に倒れたなど諸説あるが、徳川方にとっては身の毛もよだつ恐ろしさであったとされる。享年は61歳。