開化天皇春日率川坂上陵(念仏寺山古墳)
かいかてんのう かすがのいざかわのさかのえのみささぎ
(Kasuga-izakawa-sakanoe Mausoleum of Emperor Kaika [Nenbutsujiyama-Kofun Tumulus])
【K-NR077】探訪日:2018/10.21
奈良県奈良市油阪町
【MAP】
〔駐車場所〕
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により第9代・開化天皇の陵に治定されている。遺跡名は念仏寺山古墳、または弘法山古墳(高坊山古墳),坂上山古墳とも呼ばれている。奈良市中心部の三条通り・油阪通りの間に位置する墳丘長約100m、後円部直径約48m,高さ約8m、前方部幅約48m,高さ約6mの大型前方後円墳である。古墳域は近世頃には近隣の念仏寺の寺域とされ、念仏寺の墓地として利用された際に墳丘が削られ、幕末に墓地の移転と陵の修補がなされたが、その陵墓修築で墳丘は大規模な改変を受けたとみられている。主体部の埋葬施設は明らかでない。西側外堤において出土した円筒埴輪片等から、5世紀前半(古墳時代中期)の築造と推定されている。
開化天皇は父帝が崩御した同じ年の11月に即位し、翌年、春日率川宮(伝承地;奈良市本子守町周辺)に都を移す。以前の都とは大きく離れた大和盆地の北に位置している。即位60年、崩御。ただし第2代・綏靖天皇から第9代・開化天皇は「欠史八代」と称され、実在性については諸説ある。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 伝承の時代(古墳時代:前期) |
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関連年号 | 5世紀前半 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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開化天皇 | K204 |
神武天皇から欠史八代については「神代の時代~神武天皇の登場」を参照。
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