下狭川城跡
しもさがわじょうあと (Shimosagawa Castle Ruins)
【C-NR024】探訪日:2022/6/8
奈良県奈良市下狭川町2156
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、室町時代に箸尾氏の率いる長川党に属した国人であった狭川氏によって築かれた。下狭川城は惣領家の本城、上狭川城には一族の狭川福岡氏が入っていた。狭川氏は、応仁の乱前後は筒井氏傘下の国人領主として活動していた。柳生氏や須川氏らとも抗争を繰り広げ、戦国時代末期まで勢力を誇っていた。
城跡は中墓寺の南東に位置し、主郭は矩形に近く南を除く三方に幅5mほどの空堀が巡らされている。主郭南側一段下がった副郭に「狭川家遺跡」の石碑が建っており、1920(大正9)年頃まで狭川惣領家の屋敷があったという。さらに南東側の丘陵裾には馬場跡と狭川氏累代の墓所がある。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 室町時代 | 戦国時代 |
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関連年号 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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狭川氏 | G*** |
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▲中墓寺
▲一般墓地の横を進む
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▲主郭西側の空堀跡
▲空堀跡
▲右が空堀跡
▲空堀跡
▲主郭へ
▲主郭
▲堀切
▲主郭
▲主郭
▲主郭
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▲北側の空堀跡
▲北側の空堀跡
▲【「弥勒の道プロジェクト」より転載】狭川家塁趾の碑