武烈天皇傍丘磐坏丘北陵
ぶれつてんのう かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ(Kataoka-iwatsukinooka-kita Mausoleum of Emperor Buretsu)
【K-NR093】探訪日:2018/10.30
奈良県香芝市今泉
【MAP】
〔駐車場所〕
実際の被葬者は明らかではないが、宮内庁により508(継体天皇2)年10月?に奉葬された第25代・武烈天皇の陵に治定されている。宮内庁上の形式は山形。また、奈良県北葛城郡広陵町大塚にある宮内庁の大塚陵墓参考地(遺跡名は新山古墳)では、武烈天皇が被葬候補者に想定されている。このほか過去には香芝市平野にあった平野3,4号墳(消滅)、大和高田市築山の築山古墳も比定されたが、1889(明治22)年に現陵が治定された。ただ、学会の一般的な見方では単なる自然丘との見解であり、武烈の実在自体も疑わしいため、陵そのものの実在を疑う説がある。
都は泊瀬列城宮とされる。武烈天皇については『日本書紀』と『古事記』で大きく記事が異なる。『日本書紀』では悪虐非道の行為を並び立てる一方、勤勉で法に通じ裁定の審理は情を得ていたとするなど、相矛盾する記事が併存する。『古事記』には暴君としての記述は一切なく、皇位継承者として袁本杼命(後の継体天皇)が招かれた程度しか記述されていない。『書紀』側には、血縁関係が薄い次代の継体天皇の即位を正当化する意図があり、武烈天皇を暴君に仕立てたとする説がある。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 伝承の時代(古墳時代:中期) |
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関連年号 | 6世紀前半 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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武烈天皇 | K202 | 継体天皇 | K301 |
古墳時代の出来事については「古墳時代」を参照。
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