仁賢天皇埴生坂本陵(ボケ山古墳)
にんけんてんのう はにゅうのさかもとのみささぎ(ボケやまこふん)
(Hanyu-sakamoto Mausoleum of Emperor Ninken [Bokeyama-Kofun Tumulus])
【K-OS042】探訪日:2017/11.13
大阪府藤井寺市青山3丁目622−5
【MAP】
〔駐車場所〕
実際の被葬者は明らかではないが、宮内庁により第24代・仁賢天皇の陵に治定されている。遺跡名はボケ山古墳といい、出土した円筒埴輪の特徴の特徴から6世紀前半に築造されたものと考えられている。墳丘長さ122m、前方部の幅107m,高さ13m、後円部は直径65m,高さ11.5mの前方後円墳である。南東のくびれ部に造出があり、周囲は濠で囲まれている。
仁賢天皇(億計王)と弟で先代の顕宗天皇(弘計王)はともに雄略天皇に殺害された市辺押磐皇子の王子で、清寧天皇の代に播磨の国で発見され宮中に迎え入れられた。仁賢天皇は石上広高宮にて11年の善政を行ったとされる。また、皇后には父を殺した雄略天皇の皇女・春日大娘皇女を迎え、血統の正統性を強めたと考えられている。娘の手白香皇女も傍系出身の継体天皇の皇后となったことで繰り返されている。
なお、億計,弘計2王の発見譚は典型的な貴種流離譚であるため、その史実性が疑問視され実在しない架空の人物であるとする説もある。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 伝承の時代(古墳時代:中期) |
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関連年号 | 498年? |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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仁賢天皇 | K202 | 春日大娘皇女 | K202 |
古墳時代の出来事については「古墳時代」を参照。
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