妙法寺(御厨子観音)
みょうほうじ(みずしかんのん) (Myoho-ji Temple [Mizushi Kannon])
【T-NR045】探訪日:2022/6/13
奈良県橿原市東池尻町420 <📲:0744-22-3928>
【MAP】
〔駐車場所〕
735(天平7)年、遣唐使として派遣された吉備真備が、入唐留学によって学芸を修め、無事に帰国できたことに感謝し、善覚律師(吉備真備の子)に命じて観音堂を創建させたことに始まるとされる。
真備は、716(霊亀2)年、朝廷から遣唐使の一員に選ばれ、阿倍仲麻呂らと共に入唐留学するが、入唐前に日頃信仰していた観音像にご加護を祈り、唐で学芸を修め無事帰国ができたなら、自分の領地に先祖の霊を祭る建物を造り仏恩に報いると誓った。唐に18年間留まるが、その間、幾多の困難,難題を乗り越えた。特に、皇帝・玄宗に謁見し難解な詩(野馬台詩)の解読を命じられたとき、日本の神仏に祈ると蜘蛛が落ちてきて、蜘蛛の這った後を追うと無事読むことができたというエピソードは有名である。これに因み、妙法寺本尊の十一面観音菩薩は蜘蛛観音とも呼ばれている。
妙法寺の隆盛時には北室院,南室院などの塔頭寺院が並び立っていたといわれる。現在の堂は、元禄時代(1688~1703年)に当観音を信仰する人々によって、焼け残った資材を集めて再建されたものである。また、吉備真備が書き残した「大般若経」は、奈良国立博物館に保管されている。
なお、「御厨子」の由来は東方にあった磐余池の池尻に位置したことから土地の氏神は「水尻神社(現・御厨子神社)」と呼ばれ、これが「御厨子」へと転化したものとされる。