檜隈寺跡(於美阿志神社)
ひのくまでらあと(おみあしじんじゃ) (Hinokuma-dera Temple Ruins[Omiashi Shrine])
【T-NR021】探訪日:1994/7/3・2009/10/31
奈良県高市郡明日香村檜前577
【MAP】
〔駐車場所〕
創建年は定かではないが、第15代・応神天皇の代に渡来した阿智使主の居住地跡に東漢氏一族が7世紀後半に創建したとされる。於美阿志神社はその鎮守社と考えられ、阿智使主とその妻を祭神としている。『日本書紀』の686(朱鳥元)年8月条には、軽寺,大窪寺とともに檜隈寺の名がみえ存在したことがわかる。鎌倉時代の『清水寺縁起』には「道興寺」の寺名として著されている。
寺跡は1969(昭和44)年以降、4次にわたる発掘調査が実施され、その伽藍配置が明らかになった。中軸線が西方に振れ、塔を挟んで南に金堂、北に講堂が位置し、中門は西側に位置する。塔跡の南方に位置する土壇は、三間四面の仏堂の跡とみられている。伽藍主要部は回廊で囲まれていた。塔跡には心礎と四天柱の礎石が残り、講堂跡には瓦積基壇が遺存する。
なお、於美阿志神社は1907(明治40)年頃に現在地に遷座された。塔跡に建つ十三重石塔は平安時代のもので、上部を欠くが国の重要文化財に指定されている。
また、この辺りには宣化天皇の盧入野宮があったとされ、石碑が建てられている。