安楽寺

あんらくじ(Anraku-ji Temple)

【T-KT056】探訪日:2015/11/7

【T-KT056】安楽寺 京都府京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町21 <📲:075-771-5360>

【MAP】

〔駐車場所〕

【T-KT056】安楽寺

   通称「松虫鈴虫寺」とも呼ばれている。創建年は定かではないが、鎌倉時代のはじめ、法然の弟子である住蓮と安楽が専修念仏の道場として結んだ草庵が始まりとされる。
 1177(安元3)年に起こった鹿ヶ谷事件から20数年後、住蓮と安楽が東山辺りを散歩していると、山中から一匹の白い鹿が現れ、その鹿が俊寛の山荘跡あたりで姿が消えたのを不思議に思い霊告を感じ、現在の安楽寺の場所より東方の山中に専修念仏の道場として鹿ケ谷草庵を結んだ。そこで住蓮と安楽は、六時礼讃の行法など法然の説く専修念仏の教化につとめたが、その礼讃声明は美しく聴衆を魅了したといわれる。そのなかに後鳥羽上皇の女官である松虫姫[19歳]と鈴虫姫[17歳]がおり、両姫は法然上人や開山両上人から念仏の教えを拝聴し感銘され、1206(建永元)年12月、後鳥羽上皇が紀州熊野に参拝の留守中に夜中秘かに京都小御所を忍び出て鹿ヶ谷草庵を訪ね剃髪,出家した。これに激怒した後鳥羽上皇は住蓮と安楽を逮捕し処刑し、関係未詳の親鸞を含む7人及びその師である法然の計8名を流刑とした(承元の法難)。なお、両姫は瀬戸内海の生口島の光明防で念仏三昧の余生を送り、松虫姫は35歳、鈴虫姫は45歳で往生を遂げたと伝えられている。
 その後、鹿ケ谷草庵は荒廃する。流刑地から帰洛した法然が住蓮,安楽両僧の菩提所として草庵を再建し「住蓮山安楽寺」と名付けた。何度か興廃を繰り返したのち、現在地に移転して再興したのは天文年間(1532~55年)のことという。
 寺宝として住蓮,安楽と女官であった松虫,鈴虫関連のものが残されている。安楽寺は桜,つつじ,皐月の開花時期と鹿ヶ谷かぼちゃ供養の7月のみ拝観可能である。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 鎌倉時代 戦国時代
関連年号 1206年 1532~55年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
住蓮 **** 安楽 **** 後鳥羽上皇 K331
松虫姫 **** 鈴虫姫 **** 法然 ****

 

【T-KT056】安楽寺
 今回は拝観期間ではなく境内の様子は撮影できなかった。機会があれば再度、花の季節に訪れたい。 

 

【T-KT056】安楽寺

【T-KT056】安楽寺 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

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▲立札には「拝観謝絶」と書かれている(探訪当時)