岩滑城跡
やなべじょうあと (Yanabe Castle Ruins)
【C-AC516】探訪日:2022/5/20
愛知県半田市岩滑中町7丁目23
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、天文年間前半(1532~43年頃)に宮津城の支城として榊原主殿によって築かれたとされる。1543(天文12)年、緒川城の水野信元が知多半島制圧を目指し、宮津城の新海淳尚を攻め滅ぼし、支城であった岩滑城も攻め落とした。信元はそれまで知多半島北部に領地を有していた妹婿の中山刑部大輔勝時を岩滑城に入れて、この地を支配させた。近隣には勝時の家臣で竹中半兵衛重治の従兄弟にあたる竹中源助重利も居住したという。
勝時は永禄年間(1558〜70年)には中山城を築き移ったと考えられる。跡地には菩提寺となる常福院を創建した。主君・水野信元の死後は織田信長に仕え、1582(天正10)年の本能寺の変の際に織田信忠とともに京都二条で討死した。
また、中山氏の末裔は明治以降、岩滑へもどり、童話『ごん狐』で有名な当地の童話作家・新美南吉とも交流があったという。近くに新美南吉の生家がある。
岩滑城の位置については明確ではないが、常福院の境内または西側の宅地付近と考えられている。矢勝川の南岸に位置し微高地になっている。遺構は残されていない。