土佐坊昌俊邸跡
とさのぼうしょうしゅん ていあと (Residence Ruins of Shoshun Tosanobo)
【R-KN002】探訪日:2008/5/1
神奈川県鎌倉市雪ノ下1丁目14−23
【MAP】
〔駐車場所〕
1185(文治元)年10月17日、京にいる源義経に夜襲をかけたが返り討ちにあった土佐坊昌俊の館跡と伝わる。
昌俊は興福寺金剛堂の堂衆だったが、大和国針の庄の代官を夜討ちしたことで大番役として上洛していた土肥実平に預けられ、実平とともに関東に下向して源頼朝に臣従した(一説には源義朝に仕えた金王丸と同一人物ともいわれる)。頼朝の義経誅殺計画を進んで引き受け、弟の三上弥六家季ら83騎の軍勢で10月9日に鎌倉を出発し、17日に京の義経の館である六条室町亭を襲撃した。しかし、義経は佐藤忠信らを伴い自ら討って出て応戦し、鞍馬山に逃げ込んだ昌俊を捕らえ六条河原で梟首したとされる。事前に襲撃を察知していたとも。また、頼朝による昌俊派遣の目的は義経暗殺そのものよりも、義経を挑発して頼朝に叛旗を翻す口実を与えることであったとの見方もある。
10月24日、勝長寿院での父・義朝の供養を終えた後、頼朝は参列した御家人たちに義経討伐を命令することになる。