醍醐天皇後山科陵
だいごてんのう のちのやましなのみささぎ(Nochinoyamashina Mausoleum of Emperor Daigo)
【K-KT030】探訪日:2015/5/6
京都府京都市伏見区醍醐古道町
【MAP】
〔駐車場所〕
930(延長8)年9月29日に崩御した第60代・醍醐天皇〔在位:897~930年〕の陵である。諱は敦仁、臣籍の身分として生まれた唯一の天皇で、はじめ源姓を名乗り父の即位とともに皇族に列した。在位期間は897(寛平9)年から930(延長8)年。父・宇多天皇の訓示「寛平御遺誡」を受けて藤原時平,菅原道真を左右大臣とし政務を任せる。その治世は34年の長きにわたり、摂関を置かずに形式上は親政を行って数々の業績を収めたため、後代になってこの治世は「延喜の治」として謳われるようになった。
しかし、901(昌泰4)年、時平の讒言を容れて道真を大宰員外帥に左遷すると、それ以降、皇族,藤原氏の不幸が続き、一連の不幸は菅原道真の怨霊の仕業と噂されたため、道真を左遷した詔を覆し道真を右大臣に復したうえ贈位を行ってその慰霊に努めた。しかし、930(延長8)年6月に清涼殿落雷事件が起きると、心労が重なったこともあり体調を崩し、寛明親王(のちの朱雀天皇)に譲位し9月29日に出家すると同日未刻に崩御した。宝算46。翌月10日、土葬された。