明智光秀首塚
あけちみつひで くびづか(Kubizuka, Grave of Severed Head of Mitsuhide Akechi)
【K-KT022】探訪日:2003/10/16
京都府京都市東山区梅宮町474−23
【MAP】
〔駐車場所〕
1582(天正10)年6月13日、本能寺の変後の山崎の戦いに敗れ、坂本城へ落ち延びる途中に小栗栖の竹藪で落ち武者狩りに殺害された明智光秀の首が埋葬されているとの伝承がある。光秀の首は、粟田口で重臣の首とともに数日晒され、近くに埋められたという。光秀の首塚は亀岡市の谷性寺にもあるが、介錯をした溝尾茂朝が光秀の首を近臣に託し、生前に信仰していた谷性寺へと運び葬ったと伝わるが、『兼見卿記』には、首は百姓に見つかり翌日、織田信孝に差し出されたと記されており、晒し首にされたとするのが定説である。
なお、光秀の胴は、現在の山科区勧修寺御所内町の明智光秀胴塚に葬られたと伝わる。