気賀関所跡
きがせきしょあと (Kiga Sekisho[Barrier] Ruins)
【R-SZ007】探訪日:2016/5/5
静岡県浜松市北区細江町気賀4577
【MAP】
〔駐車場所〕
17世紀初め、江戸幕府が東海道の新居関所の裏番所として本坂通(姫街道)の往来を監視したために、浜名湖北の気賀に設置した関所である。
旗本の気賀近藤氏が明治維新まで12代にわたり関所を監理し、関所手形により「入鉄砲に出女」を取締り、周辺の要害村(関所破りを村民が監視)や新居関所,金指の番所と共同で浜名湖上の通行や横越し(両関所間の山道を抜けること)を監視した。役人は番頭2人,平番5人が交代で勤務し、ほかに下番1人,足軽2,3人がいた。特に女性の通行に対しては厳しかった。1707(宝永4)年の宝永地震と津波で新居関所など浜名湖南部が大被害を受けると、本坂通を選ぶ旅行者が急増した。また、伊勢神宮へのお蔭参りが流行すると、大規模な関所破りが頻発したという。
関所は気賀宿の東の入口に置かれ、東門から宿場の南に沿って要害堀が掘られ、本坂通を挟んで北に本番所、南に向番所と2層の望楼があった。1869(明治2)年の関所廃止令により気賀関所も閉鎖されたが、本番所は1960(昭和35)年まで現存し、全国でも最古の関屋とされていた(その後、本番所の関屋の一部のみを残し解体)。
現在は、関所があった場所から600m西に観光施設「気賀関所」が復元されている。