小鷹城跡
こたかじょうあと (Kotaka Castle Ruins)
【C-AC495】探訪日:2022/4/11
愛知県北設楽郡設楽町東納庫字小鷹山
【MAP】
〔駐車場所〕舗装林道が城址登り口まで続いており、所々に駐車スペースがある。
築城年は定かではないが、1532(天文元)年頃に作手から名倉へ進出した名倉奥平家の2代・奥平喜八郎信光の居城とされる。東に位置する鍬塚城も信光の城である。信光は関ヶ原の戦いの後、家康の4男・松平忠吉に属し、忠吉が清洲城に入ると、1602(慶長7)年、信光も戸田加賀守と称し家臣として清須に移住した。
仏庫裡(標高1072m)から北へ延びる尾根端に小鷹城址(標高1020m),二の宮砦跡(標高960m)があるが、小鷹城址=二の宮砦跡とする見方と、小鷹神社がある曲輪を小鷹城址としその北約200mの曲輪を二の宮砦とする見方がある(本サイトは後者に従う)。小鷹神社の曲輪に小鷹城址標柱が立ち、北の曲輪には二宮大神の碑がある。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 戦国時代 | 安土桃山時代 |
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関連年号 | 1532年 |
1602年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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奥平信光(戸田加賀守) | KD13 |
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲今回の登り口
▲別の登り口①
▲別の登り口②
▲「愛知県」と書かれたポールと赤テープをたどる
▲やがて仏庫裡山頂に着き、登り口②に出る
▲登り口②の看板:ここから約400m
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▲右に小鷹神社
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▲小鷹神社
▲小鷹神社
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▲小鷹神社
▲城址碑
▲土塁
▲眺望
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