孝徳天皇大阪磯長陵(山田上ノ山古墳)
こうとくてんのう おおさかのしながのみささぎ(やまだうえのやまこふん)
(Osaka-Shinaga Mausoleum of Emperor Kotoku [Yamadauenoyama-Kofun Tumulus])
【K-OS009】探訪日:2017/9.24
大阪府南河内郡太子町山田
【MAP】
〔駐車場所〕
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁では第36代孝徳天皇の陵に治定している。これまでに本格的な調査はなされていない。二上山山麓の磯長谷において、二上山から西方に派生する丘陵の先端部に築造された古墳である。丘陵前には竹内街道が通り、江戸時代には「北山陵」と称されたほか、かつては「鶯陵」とも称された。墳丘は直径32mと小規模な円墳であり、主体部の埋葬施設などは明らかでない。関連出土品として、かつて陪塚(現在不明)から出土したという海獣葡萄鏡が知られている。
乙巳の変後に即位した孝徳天皇は、改新に功績のあった蘇我倉山田石川麻呂らを政権に登用し改新政治を推し進めたが、やがて乙巳の変の立役者であった中大兄皇子らと不仲となり、654(白雉5)年に難波長柄豊埼宮で孤独のうちに崩御され、大坂磯長陵に葬られた。(現在の陵号には「坂」でなく「阪」の字が使用される)
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 飛鳥時代 |
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関連年号 | 654年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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孝徳天皇 | K305 | 蘇我倉山田石川麻呂 | SG02 | 中大兄皇子 | K306 |
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