志太郡衙跡
しだぐんがあと (Shida Gunga[District Offices] Ruins)
【R-SZ020】探訪日:2022/2/27
静岡県藤枝市南駿河台1丁目12
【MAP】
〔駐車場所〕
別名を御子ヶ谷遺跡。8世紀前半から9世紀前半にかけての奈良・平安時代の志太郡の郡役所跡である。奈良時代と平安時代に2期、計3期の造替が繰り返されたとみられている。
1977(昭和52)年に団地造営のための区画整備を行っている際に発見され、その後の発掘調査によって南北70m,東西80mの範囲から掘立柱建物30棟をはじめ、門や板塀,土壙,柵,土塁、井戸・石敷道路などの遺構が次々と発見された。さらに出土した260点余りの墨書土器から「志太」という地名と大領・少領・主帳などの郡司の官職名が確認され、志太郡の郡衙跡と判明した。
建物は南北に棟の方位を揃えた規則的な配置であり、建物群の西半部には規模の大きい東西棟を中心として、井戸をもつ広場や脇殿様の南北棟が展開しており本遺跡の中枢部分を構成しているものと推定される。建物群東半部の東辺と南辺は土塁状施設あるいは板塀によって囲まれるが、ここには8世紀後半以降、倉庫及び雑舎様の建物が密集して建ち並び、東南隅には柵で小区画をもうけ廂付建物を配置されていた。南辺の板塀の外側に沿って幅4~6mの道路があり、道路の南側は沼沢地ないし池となっており、護岸には杭が打ち込まれている。板塀の西端に開く門を経て建物群中枢部に通じたものと考えられる。