釜原城跡
かまっぱらじょうあと (Kamappara Castle Ruins)
【C-SZ029】探訪日:2022/3/12
静岡県御前崎市新野
【MAP】
〔駐車場所〕 新野バス停のある道を東に入るとすぐに説明板と駐車場がある。
築城年代は定かではなく、築城者もはっきりしない。麓に在った聖道寺の「聖道寺縁由記」によれば、城主は聖道寺の前身である寺の大旦那で、南北朝時代に戦で落城したと伝わるが、具体的な名は不明(高橋氏か新野氏か)。現在の遺構は武田・徳川両氏による高天神城争奪戦の際に改変されたと推定されている。
城は東西に伸びた標高66m,比高46mの丘陵に築かれ、西が本曲輪,東が二の曲輪となっている。二の曲輪には現在NTT電話中継塔が建つ。両曲輪は大堀切で遮断されており(一部埋められているが)、本曲輪の北側にも堀切が残されている。本曲輪から西へ進んだ先が出曲輪となり、眼下には掛川浜岡線(県道37号線)、遠方には高天神城方面を望むことができる。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 南北朝時代 | 戦国時代 |
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関連年号 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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武 | Q |
夕暮れ前に早足で訪れたが、案内板,説明板,標柱などしっかり整備されており、見応えのある城跡であった。本曲輪の広さは想像以上であった。釜原を「かまっぱら」というのは、家康と信玄が戦った浜松の三方原を地元では「みかたっぱら」と呼ぶのと共通項があるのかなと思った。
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲駐車場にある説明板
▲案内に沿って登城
▲二の曲輪
▲二の曲輪
▲二の曲輪
▲二の曲輪(右奥が本曲輪)
▲本曲輪側から見た二の曲輪
▲本曲輪入口
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▲大堀切
▲大堀切
▲本曲輪
▲本曲輪
▲本曲輪
▲本曲輪(二の曲輪にある電話中継塔が見える)
▲本曲輪
▲本曲輪
▲本曲輪中ほど北の堀切入口
▲堀切
▲本曲輪北西の堀切入口
▲堀切
▲堀切
▲堀切
▲本曲輪から出曲輪へ
▲大堀切
▲土塁
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▲出曲輪
▲出曲輪からの眺望
▲出曲輪虎口方向
▲出曲輪の虎口