勧修寺
かじゅうじ(Kaju-ji Temple)
【T-KT025】探訪日:2015/5.6
京都府京都市山科区勧修寺仁王堂町27−6 <📲:075-571-0048>
【MAP】
〔駐車場所〕
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900(昌泰3)年、醍醐天皇が、若くして死去した生母・藤原胤子の追善のため、胤子の祖父にあたる宮道弥益の邸宅跡を寺に改め、氷室池も取り込み、右大臣・藤原定方(胤子の同母兄弟)に命じて造立させたという。胤子の父(醍醐天皇の外祖父)藤原高藤の諡号をとって勧修寺と号した。開山は東大寺出身の法相宗の僧である承俊律師。なお、創建年については異説もある。勧修寺は905(延喜5)年に定額寺に列せられているが、この時の太政官符には胤子が生前に建立した旨の記述があり、これに従えば、胤子の没した896(寛平8)年以前の創建となる。
代々、法親王が入寺する宮門跡寺院として栄えたが、1470(文明2)年に応仁の乱の兵火で焼失し、さらに豊臣秀吉が伏見街道を造る際に境内地を削減され、氷室池の南側を埋め立てられるなどして次第に衰退した。江戸時代に入って、徳川家と皇室の援助により復興された。現存する本堂,宸殿,書院等の伽藍は、霊元天皇,明正天皇などの旧殿を下賜されたものである。また、30世・尊孝法親王の叔母にあたる真宮理子が将軍・徳川吉宗の正室であった縁で、紀伊国の約100ヶ寺が勧修寺の末寺となった。幕末の32世・済範入道親王は後に還俗して山階宮晃親王となっている。