六波羅蜜寺
ろくはらみつじ(Rokuharamitsu-ji Temple)
【T-KT019】探訪日:1991/10/5・2015/10/4
京都府京都市東山区轆轤町81−1 <📲:075-561-6980>
【MAP】
〔駐車場所〕
創建年は定かではないが、951(天暦5)年に空也上人が十一面観音を本尊とする道場を創建し、西光寺と称したのが始まりという。空也上人は疫病の蔓延する当時の京都で、この観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え多くの人を救ったという。963(応和3)年、当時遺体の捨て場であった鴨川岸に僧600名を集めて大規模な大般若経供養会を行ったが、この時をもって西光寺の創建とする説もある。
空也上人の死後、977(貞元2)年に比叡山延暦寺の僧・中信が中興して六波羅蜜寺と改称し、天台宗に属する天台別院となった。名称の由来は仏教の教義「六波羅蜜」という語に由来するとも、この地を古来「六原」と称したのに因んだとも考えられている。
平安時代末期には平正盛が付近に阿弥陀堂(現・常光院)を建立して以来、平家との繋がりができ、平忠盛が当寺の塔頭に軍勢を駐屯させて境内の隣に六波羅殿と呼ばれる館が建造した。さらに平清盛の頃には当寺は平家一門の5,200棟余りにも及ぶ屋敷群に取り込まれてしまう。しかし、1183(寿永2)年に平家が都落ちした際、諸堂は炎上し本堂のみ焼失を免れた。
その後、鎌倉幕府によって朝廷方の動きを監視する六波羅探題が置かれ、鎌倉幕府が滅亡すると、室町幕府によって再興され、1363(貞治2/正平18)年には本堂が再建された。文禄年間(1593~96年)に豊臣秀吉による方広寺大仏建立の際に本堂が修理されて向拝が付け加えられ、寺領70石が安堵された。この際に真言宗智積院の末寺となっている。
江戸時代までは大伽藍を連ねたが、明治維新の廃仏毀釈により大幅に寺域が縮小された。
本尊の木造十一面観音立像(国宝)のほか、空也上人像,伝・平清盛像,伝・運慶像,運慶作の地蔵菩薩坐像など日本彫刻史上著名な仏像,肖像を数多く有する。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 平安時代:中期 | 平安時代:後期 | 南北朝時代 | 安土桃山時代 |
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関連年号 | 951年・963年・977年 | 1183年 | 1363年 | 1593~96年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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空也上人 | **** | 中信 | **** | 平 正盛 | H103 |
平 忠盛 | H106 | 平 清盛 | H107 |
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▲清盛塚
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