中岡慎太郎墓所〔霊山護国神社〕
なかおかしんたろう ぼしょ〔りょうぜんごこくじんじゃ〕(Grave of Shintaro Nakaoka[in Ryozengokoku Shrine])
【K-KT019】探訪日:2003/10/16
京都府京都市東山区清閑寺霊山町25
【MAP】
〔駐車場所〕
霊山護国神社にある中岡慎太郎の墓である。坂本龍馬の墓と並ぶ。1867(慶応3)年11月15日、京都四条河原町の近江屋で海援隊の坂本龍馬とともに襲撃され、2日後の17日に死亡した。享年30。東京の靖国神社には吉田松陰,久坂玄瑞,高杉晋作,坂本龍馬たちとともに祀られている。
土佐国安芸郡北川郷柏木村の大庄屋・中岡家の長男として生まれ、名は道正。武市瑞山(半平太)の道場で剣術を学び土佐勤皇党に加盟して本格的に志士活動を展開し始める。『時勢論』を著して武力討幕を説く。板垣退助と胸襟を開いて命運を誓い、板垣と西郷隆盛らの間で交わされた薩土討幕の密約を周旋した。また、坂本龍馬らと共に薩長同盟の斡旋にも尽力した。
暗殺者については諸説あるが現在では、与頭・佐々木只三郎とその部下6人による見廻組犯人説が定説となっている。