勝間田城跡
かつまたじょうあと (katsumata Castle Ruins)
【C-SZ025】探訪日:2015/10/23
静岡県牧之原市勝田
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、15世紀半ば頃に勝間田氏によって築かれたとされる。勝間田氏は古くから当地(勝田庄)を本領とし、鎌倉時代には御家人、室町時代には奉公衆として幕府に仕えた名族である。勝間田城の南西、菊川流域を支配した横地城の横地氏とは同族とされる。
1476(文明8)年、駿河から遠江に進出した今川義忠と見付で戦って横田氏とともに敗れ、勝間田氏は一族離散となった。残党は勝間田修理之亮(伊野八郎)とともに富士山の東の裾野へ落ち延びている。
勝間田城は勝間田川の南の標高131mの丘陵地に築かれており、その規模は東西200m,南北310m。出曲輪の南に大きく三の曲輪,二の曲輪,本曲輪が続く。二の曲輪、三の曲輪は土塁で囲まれた南北二段の広い曲輪となっている。山頂の本曲輪には2箇所に大土塁が残る。本曲輪の南と東にも独立した曲輪があり、東尾根曲輪から東へ伸びる尾根は五条の連続堀切によって遮断している。数次にわたる発掘調査では、多くの建物跡,井戸などの遺構や土器,木簡,古銭などの遺物が検出されている。
【史跡規模】 |
【指 定】静岡県指定史跡(1983年2月22日指定) 【国 宝】 【国重文】 |
年関連時代 | 戦国時代 |
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関月連年号 | 1476年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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勝間田修理之亮 | F038 | 今川義忠 | G360 |
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▲出曲輪(茶畑)
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▲三の曲輪
▲三の曲輪
▲三の曲輪
▲二の曲輪
▲二の曲輪
▲二の曲輪
▲勝間田氏について
▲堀切
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▲東尾根曲輪
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▲北尾根曲輪
▲本曲輪へ
▲本曲輪
▲本曲輪
▲本曲輪の土塁
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▲切岸