生目八幡宮

いきめはちまんぐう(Ikime Hachimangu Shrine)

【S-AC046】探訪日:2022/1/22

【S-AC046】生目八幡宮 愛知県大府市半月町3丁目171

【MAP】

〔駐車場所〕

【S-AC046】生目八幡宮

   大府市では景清神社常福寺と並び平七悪兵衛景清に由緒のある神社で、景清の墓所とされる(ただし、墓所伝承地は全国に8ヶ所ほどある)。
 平景清の本姓は藤原氏(伊藤氏)であるが、平家に仕え都落ちに従ったため平姓で呼ばれる。全国に伝承が残り、実在したものの謎多き人物である。1185(元暦2)年の壇ノ浦の戦いに敗れ、捕られて預けられた八田知家の邸(常陸国)で絶食し果てたともいわれる。また、源頼朝の命を狙って失敗して捕えられた際、「源氏の世は見られぬ」と自ら両目を刳り抜いたため、頼朝は景清を惜しんで日向国の勾当職に命じたともいう。大府市では、壇ノ浦の戦い後に尾張国まで逃げ延び、地元の名主・浅田八太夫の援助を得て屋敷を構えて隠棲したとされている(現・景清神社の辺り)。
 常福寺には「水鑑景清大居士」と刻まれた位牌が現存し、1214(建保2)年8月15日にこの地で没したという(前述の八田知家邸では1196年没)。ここ生目八幡宮は景清の墓所とされるが、墓石や五輪塔があるわけではなく古墳状の頂上に祠が祀られている。
 なお、生目神社の本社は品陀和気命(応神天皇)と平景清を主祭神として宮崎県宮崎市に鎮座し、「日向の生目様」と呼ばれて眼病に霊験あらたかな神社として信仰を集めている。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 平安時代:後期 鎌倉時代
関連年号 1185年 1196年・1214年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
平 景清(伊藤景清) F9** 浅田八太夫 **** 八田知家 F659

 

【S-AC046】生目八幡宮  
 

 

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▲鳥居の左にある石碑には景清墓所と記されている

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▲祠

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▲南から見る

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▲北側から見る

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▲なぜかカエルの石像が数体

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