大嶽城跡
おおづくじょうあと (Ozuku Castle Ruins)
【C-SG048】探訪日:2019/9/16
滋賀県長浜市小谷上山田町
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、1523~24(大永3~4)年頃に浅井亮政が小谷城を築いたときの初期の本丸があった所ともいわれる。小谷山の山頂に位置する。
1573(元亀4)年、織田信長軍による浅井長政の小谷城包囲に対し、長政の援軍に駆けつけた朝倉氏が布陣したが、同(天正元)年8月に大嶽城の北麓の焼尾砦を守る浅見対馬守が信長に降伏し寝返ったことで、8月12日、信長は嵐の襲来を好機とみて浅見の手引きで大嶽城を攻撃,落城させた。さらに、撤退する朝倉軍を越前まで一気に追撃し朝倉氏を滅亡させた。
大嶽城は山頂を主郭とし、主郭より20mほど下がった北側から西,南側にかけて広い平坦地とその外側に土塁を巡らせている。北側下には二重堀切があり、西側の郭下で山崎丸に向かって大竪堀が2本延びている。