東勝寺跡(腹切りやぐら)
とうしょうじあと(はらきりやぐら)(Tosho-ji Temple Ruins[Harakiri Yagura])
【T-KN010】探訪日:2008/4/30
神奈川県鎌倉市小町3丁目10-1
【MAP】
〔駐車場所〕
1225(嘉禄元)年に執権となった北条泰時は、鎌倉の鶴岡八幡宮境内南東の葛西ケ谷の谷間に北条一族の菩提寺を創建した。開山は明菴栄西の弟子の退耕行勇。関東十刹の一つであった。菩提寺であると同時に有事に備えた城塞の意味をもった寺院であったとも推測される。
発掘調査によって、地元の「鎌倉石」の切石を積み上げた石垣,切石敷きの坂道,岩盤を掘削してつくった排水溝、また、門跡と推定される地覆石の列や礎石建物,掘立柱建物など、格式を誇る仏教寺院の遺構群が比較的良好な状態で検出された。
1333(元弘3)年、後醍醐天皇に呼応して鎌倉に攻め寄せた新田義貞の軍勢を迎え撃つべく、北条高時ら北条氏一門は当寺に篭もったが、抗しえず自刃し鎌倉幕府終焉の地となった。『太平記』によると、自害した者は一族,家臣283人、あとに続いた兵も合わせて870人余であったという。かつての寺域には自害した北条一族が葬られた「腹切りやぐら」が残されている。当時の住職・信海和尚は本尊の大日如来像を持ち出し鎌倉・池子村まで逃げ落ちて同名の東勝寺(後に東昌寺に改称)を建立している。また、北条高時一門が滅亡したのを悼み、現在の藤沢市に新たな東勝寺が建てられた。