浄光明寺
じょうこうみょうじ(Jokomyo-ji Temple)
【T-KN009】探訪日:2008/4/30
神奈川県鎌倉市扇ガ谷2丁目12-1 <📲:0467-22-1359>
【MAP】
〔駐車場所〕
寺伝によれば、1251(建長3)年頃、第5代執権・北条時頼と第6代執権・北条長時が開基となって創建したもので、開山は真阿(真聖国師)であったという。それ以前、源頼朝の命により文覚上人の建てた草庵があったともいうが、定かではない。長時は、1264(文永元)年に36歳で死去し浄光明寺に葬られ、以後、長時に始まる赤橋流北条氏の菩提寺と位置づけられた。
中世を通じ、足利氏および鎌倉公方の帰依を受けている。足利尊氏は、1335(建武2)年、後醍醐天皇に叛旗を翻して挙兵する直前、天皇への謀反の意思がないことを示すため浄光明寺にて謹慎していたとも伝えられる。
室町時代には、鎌倉公方の足利満兼が、1399(応永6)年に父・氏満と祖父・基氏の遺骨を分けて浄光明寺に安置し、以降、当寺は鎌倉公方の菩提寺となった。
往時は10近くの子院があったとされるが、江戸時代には伽藍は荒廃、本堂さえ失われる状態であった。1668(寛文8)年、僧侶の勧進や鶴岡八幡宮寺相承院元喬僧都の援助などを得て仏殿を再興、法灯は保たれた。幕末には子院は慈恩院を残すのみとなった。慈恩院は、足利直義が自ら殺害させた護良親王の鎮魂のために建立したもので、浄光明寺に現存する地蔵菩薩像は慈恩院に伝わったものという。
山門を入ると境内には客殿,庫裏,不動堂などがあり、その裏手の一段高くなった敷地に阿弥陀堂と重要文化財の阿弥陀三尊像等を安置した収蔵庫がある。さらに裏手の山上には岩壁をうがった「やぐら」があり、内部に石造地蔵菩薩坐像が安置されている。さらに登ったところには国史跡指定の冷泉為相の墓がある。