日牟禮八幡宮
ひむれはちまんぐう (Himure Hachimangu Shrine)
【S-SG004】探訪日:2016/9/25・2021/11/4
滋賀県近江八幡市宮内町257 <📲:0748-32-3151>
【MAP】
〔駐車場所〕70台ほどの駐車場があるが、時期によっては混み合います。
伝承によれば、成務天皇が高穴穂宮にて即位の時、武内宿禰に命じてこの地に大嶋大神(大国主神)を祀ったのが草創とされている。そして、応神天皇が奥津嶋神社から還幸の際に、社の近辺に御座所を設けられ休憩した。その後、その仮屋跡に日輪の形を2つ見るという不思議な現象があり、祠を建て日群之社八幡宮と名付けられたという。691(持統天皇5)年、藤原不比等が参拝し、詠んだ和歌「天降りの 神の誕生の八幡かも ひむれの杜に なびく白雲」に因んで比牟禮社と改められたといわれる。
991(正暦2)年、一条天皇の勅願により、八幡山(法華峰)上に社を建立し宇佐八幡宮を勧請して、上の八幡宮を祀った。さらに、1005(寛弘2)年、遥拝社を山麓に建立し、下の社と名付けた(現在の社殿に相当)。
1585(天正13)年、豊臣秀次が八幡山城を築城するため、上の八幡宮を下の社に合祀した。その代替地として日杉山に遷座することとなったが、秀次の領地替えやその後の高野山での自害、八幡山城廃城により全面中止となり、現在の一社の姿となった。廃城後も城下町は近江商人の町として発展し、当社はその守護神として崇敬を集めた。
1600(慶長5)年9月18日、徳川家康が関ヶ原の戦い後に武運長久の祈願を込めて参詣し、御供領50石の地を寄附し、後に徳川家光や徳川家綱も御朱印を下している。
また、天下の奇祭とよばれる「左義長まつり」が有名である。織田信長が安土城下で毎年正月に盛大に行い、自ら異粧華美な姿で踊ったというもので、信長亡き後、安土から八幡町に移住した人々は日牟禮八幡宮例祭「八幡まつり」の荘厳さに驚き、近江八幡の開町による新進気鋭の喜びと感謝の意を込め、厄除,火防の由緒ある御神徳を仰ぎ、左義長を奉納したと伝わる。現在の左義長まつりは、近江商人の商売繁盛を祈願するまつりとしての意味合いが強い。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 古墳時代 | 飛鳥時代 | 平安時代:前期 | 平安時代:中期 | 戦国時代 |
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関連年号 | 691年 | 991年 | 1005年 | 1585年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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成務天皇 | K103 | 武内宿禰 | K008 | 応神天皇 | K201 |
藤原不比等 | F001 | 一条天皇 | K326 | 豊臣秀次 | ZZ01 |
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▲楼門
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▲拝殿
▲拝殿
▲本殿
▲本殿
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