正法寺古墳
しょうぼうじこふん (Shoboji-Kofun Tumulus)
【K-AC017】探訪日:2014/6/14
愛知県西尾市吉良町乙川
【MAP】
〔駐車場所〕
矢作川の河口部に位置する3段築成の前方後円墳である。ただし、前方部前端ラインが墳丘主軸に対して斜交しており、前方部側辺の平面形も左右対称ではない。その理由は、自然の丘陵の地形を活かしつつ可能な限り大きく墳丘を築いた結果と考えられている。墳丘規模は全長94m(後円部東側墳裾~前方部北西角),90m(主軸線上),85m(後円部東側墳裾~前方部南西角)で後円部径65.5m,くびれ部幅44m,前方部幅56.5mである。また、南側くびれ部に島状遺構(周濠内に独立する方形または円形の遺構で、造出とは異なり墳丘と接しない)が確認されている。そのくびれ部と島状遺構の間の埋土中からは集中して円筒埴輪が出土し、前方部,後円部ともに墳頂部に形象埴輪が据えられていたと考えられている。
築造時期は、埴輪および墳丘形態から古墳時代中期前葉(4世紀後葉~5世紀初頭)と推定。被葬者は地理的にみても三河湾,伊勢湾の水上交通を掌握した人物と想定される。
なお、正法寺古墳の名称の由来となっている正法寺は、足利氏の援助により室町時代初期に真言宗鳳来寺の末寺として再興された。江戸時代以来、眼病に霊験あらたかな薬師如来として近隣住民の信仰を集めている。