纏向遺跡
まきむくいせき (Makimuku Ruins)
【V-NR001】探訪日:2017/9/3
奈良県桜井市穴師,辻,東田
【MAP】
〔駐車場所〕
纒向遺跡は、初期ヤマト王権発祥の地として、あるいは邪馬台国(3世紀ごろ)の東の候補地として著名な遺跡であり、遺跡の範囲は古代からの信仰の山・三輪山を背にして、このあたりの山麗から西方を望む地域一帯に広がっている。2011(平成23)年現在で把握されている纒向遺跡の範囲は、北は烏田川、南は五味原川、東は山辺の道に接する巻野内地区、西は東田地区およびその範囲は約3km平方になる。地勢は東が高く西が低い。三輪山,巻向山,穴師山などの流れが巻向川に合流し、その扇状地上に遺跡が形成されている。この遺跡は、広大な面積を有することや九州から関東にいたるまでのさまざまな地域の土器が全体の15%前後も出土していること、箸墓古墳を代表として纒向石塚古墳、ホケノ山古墳など6墓の発生期の前方後円墳が集中して築かれていること、農耕具がほとんど出土せず土木工事用の工具が圧倒的に多いことなど他の一般的な集落とは異なる特徴を多くもっている。
遺構は2013(平成25)年10月17日に「纒向遺跡」として国の史跡に指定された。