大鷲院
だいじゅういん (Daiju-in Temple)
創建年代は定かではなく、当初は天台宗の古刹であったが、大永年間(1521~26年)に心渓桂賢和尚により曹洞宗の寺院となった。1593(文禄2)年に山津波に遭い境内が埋まり一時は断絶したが、1602(慶長7)年に心翁英孚大和尚により境内が整備,再興された。1816(文化13)年に築造された大石垣は、当時の大飢饉で困窮する多くの住民に人夫代を支払う目的で造られたという。山門は1883(明治16)年に造営された建物で、入母屋,瓦葺(下屋庇:瓦葺),三間三戸,八脚二重楼門、外壁は真壁造り素木板張り、上層部高欄付で山岡鉄舟の「正法」の扁額が掲げられている。
また、境内背後には磨崖仏はじめ数多くの石仏が安置され霊場として整備され「岡崎の猫騒動」という怪猫伝説を伝える八丈岩もある。日本三大猫騒動として鍋島騒動,有馬騒動があるが、岡崎の猫騒動は1827(文政10)年に歌舞伎の演目として鶴屋南北が作った『独道中五十三駅』に登場するエピソードがその中核となっている。大鷲院にはそのモチーフとなるような化け猫伝承があった(詳細はこちら)。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 | 安土桃山時代 | 江戸時代:中期 | 明治時代 |
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関連年号 | 1521~26年 |
1593年・1602年 |
1816年 |
1883年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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心渓桂賢 | **** | 心翁英孚 | **** |
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▲山門
▲山門
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▲山門
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▲大石垣
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▲大石垣
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▲本堂
▲本堂
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▲鐘楼