清水一学墓所〔圓融寺〕
しみずいちがく ぼしょ〔えんゆうじ〕 (Grave of Ichigaku Shimizu[in Enyu-ji Temple])
【K-AC179】探訪日:2014/6/14・2021/10/16
愛知県西尾市吉良町宮迫四反田
【MAP】
〔駐車場所〕圓融寺前の矢崎川を越えたところに駐車場がある。
圓融寺裏手の山にある公共墓地には赤穂事件の際に討死した清水一学の墓所がある。三河国幡豆郡宮迫村の農家に生まれ武芸を好み、兄の藤兵衛が吉良家の陣屋のひとつ岡山陣屋に勤めていたため、一学も幼少より剣術を習いに同陣屋に通ったという。二刀流だったと伝わる。
1692(元禄5)年、吉良義央の妻の目に止まり、士分取立てのうえ吉良家家臣として召抱えられ、江戸呉服橋の吉良邸で中小姓7両3人扶持で義央に勤仕するようになった。取り立てられた理由は一学が義央の子で夭折した吉良三郎に似ていたためといわれる。
1703(元禄15)年、赤穂浪士による吉良邸討ち入りの際に討ち死にした。享年25。なお、身分,享年,奮戦ぶりには不明点も残る。