米津城跡

よねづじょうあと (Yonezu Castle Ruins)

【C-AC460】探訪日:2021/10/16

【C-AC460】米津城跡 愛知県西尾市米津町丸之内

【MAP】

〔駐車場所〕

   築城年は定かではないが、明応年間(1500年頃)に知多の大野領主・米津左馬助勝政(勝信,藤太夫道寿)が5隻の船で300の兵を率いて中根城を落城させ、その南方の米津に築城したとされる。勝政には、松平広忠,徳川家康に仕えて多くの戦功を挙げ徳川十六神将の一人となった藤蔵常春と、三方ヶ原の戦いで討死した小太夫政信の二子がいた。政信の4男・田政が家督を継ぎ、子孫は武蔵国久喜藩主,出羽国長瀞藩主として明治まで存続した。
 城の位置は明確ではなく他説もあるが、かつては高台だったという米津町丸之内に築かれ、南方の高台である米津町蔵屋敷に居館が在ったという説が有力である。現在は水田,畑地,住宅となり、遺構は残されていない。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
米津勝政(勝信,道寿) F603 米津常春 F603 米津政信 F603
米津田政 F603

 

【C-AC460】米津城跡
 

 

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▲遠景(左;丸の内地区,右;蔵屋敷地区)

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▲城跡とされる丸の内地区(嘗ては高台があった)

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▲館跡とされる蔵屋敷地区

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