岸岡城跡
きしおかじょうあと (Kishioka Castle Ruins)
【C-ME100】探訪日:2021/10/6
三重県鈴鹿市岸岡町2707-175
【MAP】
〔駐車場所〕岸岡山緑地の南に駐車場がある。
築城年は定かではないが、弘治年間(1555~58年)に神戸城の支城として築かれ、下野国より移ってきていた佐藤中務大輔が城主となった。 神戸氏に仕えていたが、1557(弘治3)年に近江六角氏が神戸氏の属城である柿城を攻めた際、神戸城主・神戸利盛が救援に赴いた隙に佐藤中務,又三郎父子は謀叛を企て、六角氏の部将・小倉三河守の兵を神戸城に迎え入れた。しかし、佐藤氏家臣の古市与介が佐藤氏に叛いて神戸利盛を岸岡城に迎え、長野藤定とともに神戸城を奪還し、佐藤父子は捕えられて殺害された。
城は標高45mの岸岡山(海のみえる岸岡山緑地)ともいわれるが、鈴鹿市の遺跡情報では北の岸岡山緑地の岸岡山七号古墳の辺りに築かれていたとする。土塁や空掘が残されているとされる。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1555~58年・1557年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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佐藤中務大輔 | F93* | 佐藤又三郎 | F93* | 神戸利盛 | H108 |
小倉三河守 | **** | 古市与介 | **** | 長野藤定 | F039 |
公園化されているが城跡表示,説明板はなく、また、土塁や空堀の遺構もはっきりしない。さらに山頂の古墳も説明板はなく、円墳なのか前方後円墳かも不明(山頂には高みが2つあり一方は前方部にも思えるが)。
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲北の岸岡山緑地「古墳」の位置が城跡とされる
▲岸岡山緑地入口
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▲堀跡らしき痕跡
▲虎口?
▲山頂の主郭跡?
▲岸岡山七号古墳の碑
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▲碑の向かい側が少し高くなっている
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▲途中の削平地(曲輪跡?)
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