沢城跡
さわじょうあと (Sawa Castle Ruins)
【C-ME096】探訪日:2021/10/6
三重県鈴鹿市飯野寺家町・西條町
【MAP】
〔駐車場所〕説明板の前に2台程度の駐車スペースがある。
1367(正平22/貞治6)年、亀山城主・関盛政の長男である関盛澄が築き、神戸氏を称した。元弘年間(1331~34年)頃、関盛政は鎌倉幕府が滅亡にすると、関東から鈴鹿郡関谷に戻り関一党の基礎を築いたとされる。盛政は5人の子を鈴鹿川流域の関,神戸,峯,鹿伏兎,国府の各城に配して自領を固めた。
1550(天文19)年頃に6代当主の神戸利盛が神戸城を築城して移るが、1568(永禄11)年に弟の友盛(具盛)は織田信長の3男で神戸氏の養子となった神戸信孝と不和になると、沢城へ隠居した。1571(元亀2)年、友盛が蒲生氏郷の近江に預けられると廃城となった。
現在、城跡は水田となり遺構は残されておらず、本丸跡と推定される場所に石碑のみが立つ。